津軽三味線奏者の小林史佳さん。
2025年9月26日に、難病の免疫介在性壊死(えし)性ミオパチーで亡くなられました。
51歳という若さでこの世を去ったニュースに衝撃が広がっています。
小林史佳さんの経歴と難病について調べてみました。
小林史佳のプロフィール

本名:小林史佳(こばやしふみよし)
生年月日:1974年生まれ
年齢:51歳
出身:新潟県新潟市
学歴:立命館大学理工学部
職業:津軽三味線奏者
小林史佳さんは、9歳から師匠である母から三味線を習い始めました。
高校に入学後はバスケットボール部に入り、三味線からは遠ざかっていたようです。
大学卒業後は大阪の大手通信会社でシステムエンジニアとして働きました。
その後、体調をくずし、故郷に帰ってプロの三味線奏者としての道を歩むことになります。
小林史佳の経歴

小林史佳さんは、2000年にプロとしての活動を始めました。
音の響きを大切にする「弾き三味線」奏法を得意としています。
2011年にはルーヴル美術館で、日本人として初めて演奏を披露しました。
小林史佳さんは2012年から、「史佳Fumiyoshi」に改名して活動されます。
理由は伝統芸能の枠を超えた新しい日本の音楽を目指しているためです。
2001年 1枚目のアルバム 「新風」
2003年 2枚目のアルバム 「ROOTS TABIBITO」
2006年 3枚目のアルバム「Ballade」
2010年 4枚目のアルバム「風の風伝」
2012年 5枚目のアルバム「続 風の風伝」
2013年 6名目のアルバム「宇宙と大地の詩」
2015年 7枚目のアルバム「糸際ITOGIWA」
2016年 1stシングル「神風」 2ndシングル「ソラミチ」
2018年 ライブ収録CD「守破離の絲」
小林史佳さんは、2019年にニューヨークのカーネギーホールで単独公演を行いました。
小林史佳の三味線奏者以外の活動
小林史佳さんは三味線を演奏するだけでなく、講演会やSNS発信もされています。
小林史佳の講演活動

小林史佳さんは講演会で、自身のうつ病体験の話や三味線人生について語られています。
講演会で三味線ライブも行っておられたようです。
小林史佳さんは地元新潟県を拠点に活動しておられる理由は、
うつ病を克服できた、ふるさと新潟の恩返しのためと語っています。
小林史佳のSNS活動
小林史佳さんはYouTubeやX、インスタグラムなど情報発信もされています。
YouTubeチャンネル「SHAMISEN ENGINE」では、津軽三味線の演奏や、初心者向けの動画を公開していました。
小林史佳さんのX ↓
小林史佳さんのインスタグラム ↓
小林史佳さんは三味線の「音色」を大切にしていました。
音に色彩を持たせ、聴く人が情景を心に思い描ける音楽を目指していたようです。
小林史佳が患っていた難病とは?
小林史佳さんは2023年に難病の免疫介在性壊死性ミオパチーという病気にかかりました。
その後、2025年2月に活動を休止し、療養されていました。
免疫介在性壊死性ミオパチーとは?

小林史佳さんが患っていた難病は、「免疫介在性壊死性ミオパチー」といいます。
この病気は、自己免疫反応によって筋肉が傷つけられる筋炎の一種です。
主な症状は、肩や太ももなどに急速に重度の筋力低下が見られます。
重度になると、歩行が難しくなったり、呼吸障害が起こることがあります。

小林史佳さんは筋肉痛と嚥下するのが困難だったそうです
免疫介在性壊死性ミオパチーは、完全な治癒は難しく、長期的な機能障害や再発リスクが残る病気です。
患者数は、炎症性筋疾患は人口10万人あたり、2~25人と言われていますので、有病率は10万人あたり、0.3~5人程度と考えられています。
https://ubie.app/byoki_qa/clinical-questions/xo0u7au8cbtl
参考;ユピー病気のQ&A
まとめ
小林史佳さんは
- 国際的に活動するプロ津軽三味線奏者だった
- 講演会やSNS発信もされていた
- 免疫介在性壊死性ミオパチーは、筋肉が傷つけられる筋炎の1つで、完治が難しい稀な病気である
ということが分かりました。
三味線を聴いた人に生きる力が沸くようにという思いで演奏していた小林史佳さん。
51歳という早すぎる死が、本当に残念でなりません。
三味線を弾く音色や豪快なバチさばきは、多くの人の記憶に残り続けるでしょう。
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